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  3. Vol.09 障がいの有無にかかわらず楽しめるのがスポーツ。車いすバスケットボールが私の人生を豊かにしてくれた。

大阪にゆかりのあるアスリートの皆さんにご登場いただき、
スポーツへの想い、地元への想いについて聞くスペシャルインタビュー。
競技のことだけでなく、貴重なエピソードや素顔にも触れた
SPORTS OSAKAならではの特別なコンテンツです。

Vol.09

車いすバスケットボール

網本 麻里選手 [カクテル]

Mari Amimoto

今回お話を伺ったのは、大阪市出身で、女子車いすバスケットボールの網本麻里(あみもとまり)選手です。網本選手は、16歳で日本代表選手に選出されるなど女子のトップアスリートとして国内外を舞台に活躍。2008年の北京と2021年の東京の2度のパラリンピックに出場しています。現在は、目前に迫った「パリ2024パラリンピック」を目指して厳しい練習に取り組むなか、車いすバスケットボールへの想い、パラスポーツの将来について、語っていただきました。

障がいの有無にかかわらず楽しめるのがスポーツ。
車いすバスケットボールが私の人生を豊かにしてくれた。

網本 麻里

Interview

車いすバスケットボールに出会ったのはいつですか?

初めて出会ったのは小学6年の時です。実家の近くにある長居公園に「大阪市長居障がい者スポーツセンター」があって、そこで車いすバスケットボールをやっていると母から聞き、一緒に見学に行ったのがきっかけでした。
その時は普通にバスケットボールをやっていたし、まだ次の手術も決まっていなかったので、「ああ、こんなバスケもあるんやな」くらいな感じで、正直あまり乗り気ではなかったです(笑)。

車いすバスケットボールに専念したきっかけを教えてください。

中学2年で2度目の手術をして、その時に病院の先生に「バスケットボールは辞めなさい」と言われたことです。もう毎日、泣いていましたね。大好きなバスケットボールを辞めなければならないこともそうですが、自分で諦めて決断したわけではなく、誰かに強制的に辞めさせられるということに納得がいかなくて、とても悲しかったです。
そして、高校1年の時、たまたま知り合いの方から、オーストラリアで車いすバスケットボールの遠征があり、19歳以下で男女関係なく誰でも参加できると聞いて興味を持ち、参加を決めました。その時から、車いすバスケットボールへの転向をぼんやりと考えていました。

オーストラリア遠征への参加が大きな転機になったわけですね。

はい。遠征にはいろんな地域の選手が集まっていて、同じ年代の選手たちと試合をできることがとても楽しかったです。こういう選手たちともっと試合がしたくて、車いすになってもパラリンピックがある。だったら、それを目指そうと決意して、本格的に車いすバスケットボールに打ち込むようになりました。

普通のバスケットボールと車いすバスケットボールの違いは何ですか?

走る、止まる、ボールを扱う、その全てを手でやらないといけないところです。私の場合は、もともとバスケットボールのスキルは持っていましたが、車いすの操作やコントロールといった車いすのスキルを養うのが大変でした。一方、ほとんどの人は、障がい者になってから車いすバスケットボールを始めるので、バスケットボールのスキルを磨くことが大変だと思います。

自分が思うようにプレーできるようになったのはいつ頃ですか?

まだです(笑)。車いすが変わったりすると反応が微妙に違いますし、どんな状況でも車いすを自分の体の一部にしないといけない。思ったように正確に動けるように練習を重ねて、ミリ単位で調整できるようにならないと駄目だと思っています。

チームプレーをする点で難しいことはありますか?

選手それぞれに障がいの程度が異なるので、攻め方、守り方、連携の取り方、全部が難しいです。呼吸やタイミングがぴったり合わないと、上手くいくはずのプレーも失敗します。とにかく、何度も練習を積み重ねてベストなタイミングをみんなで見つけられるようにしたいです。それが上手くできた時は、みんなで練習をやっていて楽しいと感じられる瞬間でもあります。
ゲームではコミュニケーションが大事なので、練習中も含め、ずっと声を出しています。言葉にしないと、何をしたらいいのか伝わらないことが多いので。

現在、所属しているカクテルはどういうチームですか?

私が所属する前から、ずっと強いチームです。才能のある選手が集まってくるということもあるかも知れませんが、他のチームに比べて練習量が多いというのが大きなアドバンテージになっていると思います。カクテルのように、チーム練習を週に1、2回やっているところは全国でもほとんどありません。常にコーチが付いてくれているのも大きな強みだと思います。そういう恵まれた環境に自分がいられることを、とても有り難く感じています。

パラリンピックを2度経験されていますが、振り返ってみていかがですか?

北京(2008年)の時は、絶対にメダルを持って帰ると決めていたので、4位ですごく悔しかったです。東京(2021年)は3大会ぶりの出場でした。その前に行われた世界選手権にも出場できなかったので、3〜4年くらい、世界に置いていかれた状態で、自分たちがどこまで戦えるかもわからなかったし、チャレンジャーの気持ちで戦いました。

東京パラリンピックでは日本代表のキャプテンとしてどのようなことを意識されましたか?

特にプレッシャーは感じなかったですね。それよりも、新型コロナで一年延期になって、無観客になって、世界中の人々が辛い期間を過ごしている中、自国の日本で開催してもらったことが本当に嬉しくて。その感謝の気持ちを少しでもテレビの画面越しに伝えられたらいいなと思いプレーしていました。
6位という結果については、悔しいですけど納得はしています。その結果をしっかりと受け止めて次に進みたいです。次はメダルを取りたいという想いがより強くなりました。

オーストラリア、ドイツ、スペインなど、海外を拠点にプレーされていたことがありますが、それはなぜですか?

純粋に強くなりたいからです。海外ではリーグ戦のシーズンがあって、オーストラリアなら2週間に1回は試合があります。でも日本にはシーズンがなくて、数カ月に一度、大会がある程度です。今年も、3月と5月に女子の大会があって、8月の皇后杯で女子の大会は終了になります。
なので、たくさん試合経験を積みたい、海外選手のスピードや技術を体感したい、というのが海外へ行った大きな理由です。

日本に拠点を戻した今の練習環境はいかがですか?

私の場合は、女子チームの「カクテル」のほかに、男女混合チームの「伊丹スーパーフェニックス」にも所属しています。ですから、女子にはないスピードや高さを感じられるし、そもそも試合数が多いので、両方のチームに所属することで2倍以上の試合経験が積めています。それ以外に、いまは日本代表強化指定選手の合宿が月に1度、1週間あるので、充実しています。

車いすバスケットボールを取り巻く環境についてどう思われますか?

全国で比較すると大阪は恵まれていると思います。でも、使える施設が限られていたり、民間の施設はあまり使えなかったり、予約がいっぱいで取れないことが多いです。ですから、基本的にはここ(アミティ舞洲)が練習場で、土日は京都まで行くこともあります。
全国的に見れば、練習場所がなかったり、家から遠かったり、地域によって環境が全然異なるので、練習できる場所がもっと増えて、車いすバスケットボールをやりたいと思っている人が気軽に参加できるようになればいいですね。
それと、大阪は環境が整っていると言っても、一般の方に「車いすバスケットボールはどこでやっていますか?」と聞くと、誰も知らないと思うんです。そういう面も変えていきたいと思って、SNSなどを使って積極的に情報発信をしています。

大阪府の「オリンピアン・パラリンピアン派遣事業」にご協力いただくなど、学校や自治体を何度も訪問されています。網本選手がこうした事業に積極的に参加される理由は何ですか?

一番の理由は、車いすバスケットボールを知って欲しい、興味を持って欲しいという想いからです。車いすバスケットボールには持ち点制という特有のルールがあって、障がいの程度も選手によって違います。そして大事なのは、車いすバスケットボールは障がい者だけのスポーツではないということです。天皇杯や、皇后杯においても、健常者でも選手として出場することができます。そういうことを、知っている人間がちゃんと伝えないといけない。パラスポーツは健常者の方でもできるんですよ、楽しめるんですよ、と。障がいがある、ないに関係なく、人にはそれぞれ、できることとできないことがあって、お互いが助け合って、補い合っていくことが大切なんだよということを、必ず伝えるよう心掛けています。

将来やりたいことは何かありますか?

私の個人的な大きな夢ですが、自分のコートを持ちたい!(笑)
いつも感じていることですが、ここは障がい者しか使えないんです。健常者は使えない。だから、自分のコートを作って、障がい者・健常者にかかわらず、誰でもいつでも来てください、バスケットボールを楽しんでください、という場所にしたい。
一番の理想を言えば、1階はコートで、2階はカフェ、そして3階はジム。それが理想形です(笑)。子どもがバスケットボールをやっている間、親御さんはカフェでくつろいでもいいし、ジムで筋トレをやっていてもいい、みたいな(笑)。いろんな人が気軽に来られる場所にしたいです。

最後に、未来のアスリートの皆さんにメッセージをお願いします。

世の中にいろんなスポーツがある中で、自分が本当にやりたいと思うスポーツに出会えたなら、そのスポーツを存分に楽しんで欲しいと思います。そして、スポーツを通じて人生を豊かにしてください。私も車いすバスケットボールに出会って、全国に、世界に、たくさんの友だちができて、人生が豊かになりました。人生は一度きりです。自分の人生を豊かにするために大好きなスポーツを見つけて、楽しんでください。

【取材日】2023年3月16日
【取材協力】カクテル、アミティ舞洲
*記事の内容は取材当時のものです。

Profile

網本 麻里[Mari Amimoto]

大阪市出身。1988年生まれ。(株)ビームス所属。生まれた時から、右足つま先の骨が変形する先天性内反足という障がいがあり、小学3年から続けていたバスケットボールを断念し、高校1年で車いすバスケに転向。16歳で日本代表入りを果たす。2008年の北京パラリンピックでは7試合で133得点を挙げて得点王に輝く。2016年からオーストラリア、ドイツ、スペインと海外リーグでもプレーするなどグローバルに活躍。東京パラリンピック(2021年開催)では、日本代表の共同キャプテンを務めた。女子車いすバスケットボールチーム「カクテル」では、現在、皇后杯(日本女子車いすバスケットボール選手権大会)で7連覇中。日本代表強化指定選手として、来たるパリ2024パラリンピックで悲願のメダル獲得を目指す。

■主な戦績(日本代表歴)
・2005 U23ジュニア世界選手権大会(男女混合)(準優勝)
・2006 アムステルダム女子世界選手権大会(6位)
・2008 北京2008パラリンピック競技大会(4位) 得点王
・2009 U23ジュニア世界選手権大会(男女混合)(6位)
・2010 バーミンガム女子世界選手権大会(7位)
・2010 広州アジアパラ競技大会(優勝)
・2011 アジア・オセアニアチャンピオンシップス *オールスター5
・2011 U25女子世界選手権大会(5位)* オールスター5 得点王
・2013 アジア・オセアニアチャンピオンシップス *オールスター5
・2014 トロント女子世界選手権大会(9位) 得点王
・2014 仁州アジアパラ競技大会(準優勝)
・2015 アジア・オセアニアチャンピオンシップス *オールスター5
・2017 アジア・オセアニアチャンピオンシップス *オールスター5
・2018 インドネシアアジアパラ競技大会(準優勝)
・2021 東京2020パラリンピック競技大会(6位)
*オールスター5 = 個人成績をもとに選出されるベスト5

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