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大阪にゆかりのあるアスリートの皆さんにご登場いただき、
スポーツへの想い、地元への想いについて聞くスペシャルインタビュー。
競技のことだけでなく、貴重なエピソードや素顔にも触れた
SPORTS OSAKAならではの特別なコンテンツです。

Vol.06

パラ競泳

宇津木 美都選手 [大阪体育大学]

Mikuni Utsugi

今回ご登場いただいたのは、パラ競泳の宇津木美都(うつぎみくに)選手です。東京2020パラリンピックに出場し、100m平泳ぎ(SB8)で見事、6位入賞を果たしました。現在、大阪体育大学の水泳競技部に所属し、教員になるという夢と水泳競技を両立しながら次の目標に向かって邁進中。パリ2024パラリンピックでのメダル獲得が期待される宇津木選手にお話を伺いました。

夢をかなえるために挑み続ける!
パラ競泳は私が輝ける場所

宇津木 美都

Interview

水泳を始めたきっかけを教えてください。

両親が私にスポーツをさせたかったらしく、球技はちょっと難しそうなので、陸上か水泳か悩んだ結果、水泳を選んだそうです。水泳ならずっと続けられて、将来的にも何かに生かせるんじゃないかと考えたと聞きました。それで、京都の実家の近くにあるスイミングスクールに通い始めたのが3歳の時です。

当時のことは覚えていますか?

もともと水遊びが好きだったのでプールにもすぐに慣れて、ちょっとずつ泳ぐ練習をしていきました。インストラクターの方も特別扱いすることなく、まわりの他の生徒たちと同じように指導してくださいました。
小学3年生の頃にはかなり泳げるようになって、5・6年生では人と競い合えるくらいのタイムを出せるようになっていました。

その頃、宇津木選手にとって「水泳」はどういう存在でしたか?

スポーツというより、習いごとの一つとして週に1回スイミングスクールに通っている、という感じでした。水泳仲間の友だちもたくさんいたので、会うのが本当に楽しみでした。

中学生の時にパラ競泳に出会ったそうですが、パラ競泳に進もうと思ったきっかけは?

中学1年生の時、近畿の予選大会に出場した際に、京都のパラ競泳で活躍する一ノ瀬メイ選手の知り合いの方に声を掛けていただき、水泳にもパラリンピックという世界があるから来てみないかと誘われたんです。それまでパラ競泳という存在も知らなかったし、自分以外に水泳をやっている人に会ったことがなかったので、すごく魅力的に感じました。

競泳をやるようになって、何か気持ちの変化はありましたか?

もともと小学校で陸上競技をやっていたんです。中学生になって水泳に変わったんですが、ちょうどタイムも上がってきて、競い合える人も増えてきた時期だったので、それが水泳になって闘うことがより楽しくなりました。とにかく、人と競い合えることがすごく嬉しかったです。

競泳をやる上で、陸上の経験が強みになった部分はありますか?

陸上をやっていたお陰で脚力もつき、体力面も鍛えられていたので、それが強みとなって自信を持って取り組めたと思います。実際、競泳を始めて早い段階で一気にタイムが上がりました。新しい環境でチャレンジするという楽しさもあって、記録が出るようになったんじゃないかと思います。

宇津木選手にとって、パラ競泳の一番の魅力は何ですか?

人と競い合えることです。中学生の頃はそれほど感じなかったですけど、高校生になると、やっぱり健常者との差が生まれてきます。パラ競泳では、自分と同じように障がいのある人たちと、同じレベルのタイムで競い合える、勝ち負けを決められるというのが一番の魅力です。もともと負けず嫌いなので、競泳はピッタリですね(笑)。

14歳の時に日本選手権でアジア記録を出されました。
注目度が一気に高まったと思いますが、どうでしたか?

家族や友人は「凄いね」みたいに盛り上がっていましたが、実は自分が一番驚いていました。あの時はアジア記録を狙っていたわけではなかったので、会場の放送で「アジア記録です」って流れて、まわりは「おーっ!」ってなってたんですが、自分の頭の中は「???」という状態で(笑)。 注目されることよりも、やっとみんなに認められた、という気持ちが強かったです。ああ、この世界(パラ競泳)で自分は活躍できるんだと実感した瞬間でした。

高校時代、スランプになって記録が伸び悩んでいた時期があったそうですね。

自分では、順調にタイムも上がっているし、結果も出ているし、いい感じだなって思っていたんです。でも、高校1年生の代表選考会で代表落ちをしてから、自分の泳ぎ方がわからなくなってしまって、タイムもどんどん落ちていって、今までで一番苦しかった時期でした。もう本当に底なし沼にはまったかのようでしたね。
特に泳ぎ方を変えたわけではないのにタイムが落ちたので、自分の中ではすごく疑問だらけでした。かといって、今までの泳ぎ方を変えるのはちょっと怖いし、どうすればいいのかわからないという状況でした。

その状況を乗り越える原動力になったのは何だったんですか?

あるコーチから、自分の泳ぎ方が激変するような提案というか、これまでとは真逆のアドバイスをいただいたんです。それまでは上半身を高く上げて、上半身も下半身も使って大きく泳ぐという泳ぎ方だったんですが、コーチから「上半身は使わなくていいから、下半身と足のキックだけで泳ぎなさい」と言われたんです。そして、その通りにやってみたら急にタイムが上がり始めました。それからは前向きに取り組めるようになりました。まわりの人たちの励ましも含めて、多くの支えがあったからこそ、這い上がってこれたと思います。

小学校の教員を目指して大阪体育大学に進学されたそうですが、教員になりたいと思ったのはいつ頃ですか?

両親が共に小学校の教員をしていたので、私も憧れて、小学生の頃からずっと、将来は教員になりたいと思っていました。生徒に愛される先生、子どもたちが常に寄ってきてくれるような教員になりたいです。水泳も続けていく予定ですが、日本代表や強化選手を続けながらというのは厳しいと思うので、いつかそういう立場ではなくなってから、教師になろうと思っています。それまでは全力で水泳に取り組んでいきたいです。

ご実家は京都ですが、大阪での生活はどうですか?

現在、一人暮らしをしています。休日は大学の課題をやったり、部屋の片付けをして過ごすことが多く、ほとんど外出することはしません。引きこもっています。まだ大阪は未知の世界なんです(笑)。出かけると交通費がかかるので、節約の意味もあります。大阪の街を歩くのが怖いわけではありませんよ(笑)。

東京2020パラリンピックの日本代表に決まった時のことをお聞かせください。

代表選考会で規定タイムはクリアしていました。あとはランキングの上位から選ばれるんですけど。結果は自分でネットで調べて、知りました(笑)。日本代表決定を知った時は喜びも大きかったですが、安心しました。当時はタイムが落ちている時期だったので、間に合わないかも知れないと思っていたんです。だから、応援してくれた人たちにやっと嬉しい報告ができると思ってほっとしました。

100m平泳ぎで6位入賞。この結果についてご自身はどうですか?

決勝に進出することを目標にしていたので、想定外でした。それまでの4年間、ベストを更新できていなかったので、かなり頑張ってタイムを出さないと決勝進出は難しいと思っていました。それが6位という結果で、すごく驚きました。タイムを見た瞬間は「えっ!」と思ったくらいです。

東京2020パラリンピックを経験したことで、今後の人生が変わると思いますか?

そうですね。経験はとても大切だなと思っています。私にとっては初めての世界規模の試合でした。次の目標はもちろんパリ2024パラリンピックです。自分の武器は脚力なので、もっと練習して鍛えて、強化していきたいです。パリの時には、もっとしっかりと上半身を使って、大きな泳ぎができるように鍛えていきます。

手応えは感じていらっしゃいますか?

コーチは、まだまだ伸びる要素がいっぱいあるよって言ってくれるんですけど、私は一杯考えちゃうとパニックになって、泳げなくなっちゃうので(笑)。一つずつ確実にクリアしていくためにも、今はまず脚力の強化だけを考えています。

昨年の秋に「大阪スポーツ賞」と「感動大阪賞」を受賞されました。ご感想をお聞かせください。

私は京都出身で、大学・所属が大阪というだけ。特に大阪にゆかりがあるっていうわけではないので、最初はビックリしました。でも、自分の出した結果がちゃんと認められているということがすごく嬉しかったし、まさかこんな光栄な賞をいただけるなんて思ってもいませんでした。

贈呈式の時は誰かとお話されましたか?

私はすごく人見知りが強いので、あまりお話はできなかったです(笑)。でも、テレビで見ていたメダリストの方々と直接お会いすることができて、私も次はメダルを取ってあそこに一緒に並べるように頑張ろう!と思いました。

最後に、アスリートのみなさんにメッセージをお願いします。

私は一度、どん底を味わって、なんとかここまで這い上がってこれました。 何事も、自分が好きなことを全力でやっていれば、時にはそうやって壁にぶつかることもあります。でも、そこで諦めずに自分が思った方向へしっかりと進んでいってほしいです。
スポーツには自分の居場所を見つける力があると思います。私は水泳という自分が輝ける場所を手に入れることができました。少しでも興味のある方は、ぜひ始めてみてください。私はパラ競泳というスポーツに出会えて、本当に良かったと思っています。

取材日】2022年1月27日 【取材協力】大阪体育大学
*記事の内容は取材当時のものです。

Profile

宇津木 美都[Mikuni Utsugi]

京都府出身。生まれた時から右腕の肘から先がなく、両親の勧めで3歳から水泳スクールに通う。中学生の時にパラ競泳と出会い、本格的に競泳に取り組むようになった。2017年パラ競泳日本選手権50m平泳ぎでアジア新記録を樹立、2018年アジアパラ競技大会100m平泳ぎで金メダルを獲得。2021年春、教員になるという夢と水泳を両立するため大阪体育大学に進学(在学中)。東京2020パラリンピックに日本代表として出場し、100m平泳ぎで6位入賞を果たした。パリ2024パラリンピックでも代表候補として期待されている。

■主な賞歴
◎パラ競泳日本選手権(2017)
・50m平泳ぎ *アジア新記録[00:39.86]
◎ワールドパラ水泳世界選手権(2018)
・200m平泳ぎ *アジア記録[03:06.99]
◎パンパシフィックパラ水泳選手権(2018)
・100m平泳ぎ(SB8)2位
・200m個人メドレー(SM9)3位
◎アジアパラ競技大会(2018)
・100m平泳ぎ(SB8)1位
・200m個人メドレー(SM9)3位
◎ジャパンパラ水泳競技大会(2021)
・100m平泳ぎ(SB8)1位
・200m個人メドレー(SM9)2位
◎東京2020パラリンピック(2021)
・100m平泳ぎ(SB8)6位

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